映画「花束」は俳優・タレントとして多方面で活躍するサヘル・ローズさんが監督を務めた作品です。児童養護施設で育った8人の少年少女が語る言葉とは? そして彼等自身が自らの思い出を表現していく、ドキュメンタリーとノンフィクションを融合させた実験映画です。今回は、「花束」の監督を務めたサヘル・ローズさんに、映画の制作のきっかけや思い入れについてお話を伺いました。

 「花束」を作ったのは、私自身も4歳のときに戦争孤児になってしまい、施設で育ったことが背景になっています。 施設の中では、愛情が欲しかったり孤独を感じていたりしていてもなかなか言い出せず、自己表現がどんどんできなくなっていってしまいます。それは決して施設の問題ではなく、子供の時に負荷が大きい出来事が起きてしまうと、心を閉ざしてしまったり、いろんなことを我慢してしまったりして飲み込んでしまうようになるからです。施設出身者であってもなくても、裕福な家庭で育ったとしても、受ける愛情の差によって生まれてくる心って随分と変わってきますよね。
 日本に来ていろんな人に助けてもらいながら仕事をして、自分の生活を守れるようになった時に、私は施設に対する支援活動を始めたんです。日本ってあまり問題を抱えてなさそうじゃないですか。なんだかきらびやかに見えて、先進国としてすごく進んでいるっていう印象があります。
 でも今から13~14年ぐらい前に、ある番組を通して出会った弁護士でありディレクターでもある土井香苗さんに、日本にも児童養護施設ってたくさんあって、親のもとで生活ができてない人が4万人以上いると教えてもらったんです。そのうちの7割が、虐待によって保護されたり一緒に生活ができなくなってしまったりしているということ、そして600以上の児童養護施設が日本にあるという事実を知った時に、きらびやかに見えるその背景にはいろんな課題や闇があることに気づきました。

 日本では20歳になるとみんな成人式を迎え、社会人になると責任を負わされて失敗が許されなくなります。いろんなストレスが、大人になればなるほど増えていく。
 家庭の中で孤立したり、問題があってもはけ口がなかったりするのに、精神カウンセラーに行く習慣もありません。ほかの国ではカウンセラーに話を聞いてもらうのは当たり前なのに、「精神科への通院=病気」というイメージがあり、日本ではなかなかメンタルケアができる環境もない。その結果大人が孤立してしまい、一番愛しているはずの我が子に手を上げてしまったりする。 
 親が悪いと単純には片付けられないこのような状況で、大人が救われてほしいなっていう思いが私にはずっとありました。児童養護施設や里親さんのドキュメンタリー映画はあったんです。でも、そういう映画を作ると、社会養護課の人たちや支援者などのメンバーが会合に集まり、それを見て終わっちゃう。そして、それは2025年現在も何も変わっていません。社会的養護者の数も増える一方で、コロナ以降はより拍車が掛かってしまった。私は社会的養護を受けている人たちだけに見てもらいたいわけではなくて、だったら何ができるんだろうと思い今回の映画を作ることにしたんです。

 ええ。私は映画をドキュメンタリーにしたいと思っていたわけではなく、当事者にお芝居をしてもらうことにしたんです。お芝居で4万2千人以上の人を救うことはできないかも知れない。でも、私が出会って映画に出たいと思ってくれた子たちは、本当は役者になりたかった、エンターテイナーになりたかったという子たちなんです。彼らは、今まではチャンスがなかった。日本でも多様性とか多文化共生とかと言ってSDGsのバッジをつけたりするけれど、取り残されていく人が溢れています。チャンスがなかったり、芸能界にも多様性なんて言葉のかけらもなかったりする。それを私自身もたくさん経験してきたし、矛盾にも気づかされてきました。
 私はいろんな講演活動や支援はしてきているけれど、支援は私が死んでしまったら止まってしまいます。こういう子たちがいるっていうことを知らせ、次の世代にバトンを渡すために、当事者に自分たちの声をあげてもらえる環境を作りたい。そこで「花束」というプロジェクトを立ち上げて、その中で当事者とともに一本の作品を作りあげたいと思ったんです。
  ポスターを見てもわかるように、この作品では決して「養護施設」という言葉は使っていません。前書きをしているわけでもなく、あらすじも書いていません。それを先に書いちゃうと、「施設の子たちが出ている映画だ」「自分とは違う人たちの物語だ」と切り離して見てしまい、タグ付けをされてしまう気がしたんです。であれば、そういう子たちだということを伏せておき、映画の中で彼らの本当の言葉と彼らの表情を見てもらい、こんなに苦しいことがあるのにサバイバーとして生き延びた彼らの強さを感じて欲しいと思ったんです。

 彼らがお芝居をしたら、自分の本名では吐き出せない感情を出せるのではないか、役目を与えることによって表現というメンタルケアができるのではないか。それが、私自身が気づいた答えなんです。私がお芝居をしている時間は、自分のメンタルをケアしている時間なんですよ。サヘル・ローズとして生きている時って、しんどくて。それには必ず、私の生い立ちがついてくる。プロフィールには必ず「戦争によって4歳から孤児院に入った」と書かれています。日本に来て31年、表現の世界に入って20年経つんですが、ずっと過去のことばっかり言われ続けてきました。私は前を向こうとしてるし、もっと先に進もうとしているけれど、悲しいぐらい人というものは、その人の生い立ちをずっと見てしまう。
  施設出身者は、施設にいる間は守られる。でも問題なのは、施設を退所した後の苦悩なんです。身寄りがおらず、保証人もいない。コミュニケーション不足によって社会との溝も生じてしまう。社会「普通はこうだから」って、お互いの普通を押し付けていくじゃないですか。そういう中で「あなたが思ってる普通と、ほかの人の思っている普通って違うよね」っていうことをこの映画で表現したかったんです。

 一口に社会的養護者って言っても、8人いれば8人とも全員違う人たちです。人はそれぞれ違う生い立ちを持っているし、人の数だけ人生が存在しているってことを、本物の言葉と当事者の言葉で綴られたこの映画を通していろんな人、家族がいる人にも知ってほしい。家族がいても苦しんでいる人もたくさんいるので、「家族」という定義そのものを取っ払いたかったんですよね。家族がいれば必ず幸せなのではないし、家族がいないから必ず不幸だというわけでもない。いろんな見え方があるから、いろいろ知ってみませんかっていう思いで「ブーケ」がモチーフになりましたし、「花束」になりました。花束にはいろんな花が入って、一つの美しいものになりますからね。
 このタイトルは、岩井さんがつけてくれてたんですよ。私、みんなの人生にタイトルなんてつけられないと思って、タイトルをつけられなくて。本当は、かぎカッコ(「 」)にしたかったんです。中を空白にして名前がない映画にして、見た人に自分が思うタイトルをこの映画につけてもらいたいってずっと提案していたんです。でも岩井さんが、「僕には最後の砂浜のシーンで、それぞれ別のところで咲いていた命が一箇所に集まったのが花束のように見えた」と言ったんです。で、その言葉で「ああ、確かに」と思って。
 人は皆、それぞれいろんな人生を抱え、いろいろと苦しみながら生きています。それぞれは種類も色も違ういろんな花で、バラバラだったら寂しげかもしれない。でも、それがブーケとして一つにまとまれば、お互いに補えます。人って一人じゃ生きていけないし、一緒にいるから、誰かといるから生きていけるんです。その誰かは、血がつながっている必要は決してないんですよ。花束って中身は、全部同じ花じゃないじゃないですか。そういうことも伝わればいいなと思います。

 普通は映画って脚本があるものなんですが、実はこの映画はキャストだけが決まり、ほかに何も決まってないというところから始まっているんです。インタビュー動画を使おうとは全然思っていなかったんですよ。というのは、お芝居を前面に出してあげたかったからです。彼らに別の人になってもらい、いろんなストーリーを作らせてあげたい。いわゆる悲しい物語は、世の中にはいっぱいあるから。それで、普通の少年少女であることを彼らにも体感してもらいたかったし、悲しさを打ち出す必要はないって思っていました。
 でも、そのためには彼らの人生をまず聞く必要があります。そこで、動画を記録で撮っていたんです。私は「よかったら、どういう事情で保護されたのかを話してください。あなたが話せる範囲でいいし、話したくないことを話さなくていいからね」って伝えたんですけど、びっくりするぐらい全員すごく鮮明に覚えてて、語り始めるんです。8人の中でこういう活動をしてるのは多分2人ぐらいで、ほかの子たちは今まで自分の人生を人に話すこともなかった子たちなんですよ。
 例えば、まゆかちゃん。包丁で殺されかけたって言うじゃないですか。夜にはパン1個しか食べられなかったとか、彼女はひたすら笑いながら話すわけですよ。自分の人生を話す時には涙が毎回出ちゃうぐらい苦しい、かさぶたを剥がすような苦しみを感じながら話す私とは対照的で、「なんでこの子たちはこんなに強いんだろう、強いんじゃなくてもなんで話せるんだろう」って、すごく不思議に思いました。


 そうなんです。インタビューは90分以上になったんですが、すごく短い子もいて、すごく長い子もいました。私は当事者として語っている経験は彼らより長くあるのですが、若いうちは勢いで話せたこともあり、年齢が重なると「あの時言わなくてもよかったかな」とか、「これについてはわざわざ言う必要はなかったのかな」って思うことって実はあるんです。私にはパートナーはいないけれども、彼らはこれからパートナーと巡り逢うかも知れない。もしくは家族と再会するかもしれない。本当はインタビューでは、過激な言葉やもっとすごいエピソードが山ほど語られたんですが、もし私以外のほかの人が監督になっていたとしたら、インパクトのある言葉を選んでいたかもしれません。もっともっとすごい、耳を塞ぎたくなる言葉もあったんですが、私は彼らが大人になった時にこの映画を嫌いになってもらいたくなかったんです。この映画を誰にも見せたくないって思われたくなかったんです。彼らが胸を張って、大切な人たちに見せられる作品にしたかった。
 でも、あの河野真也君。亡くなってしまった彼のシーンだけが長くなっているのは、娘さんに彼の言葉を残したかったからです。娘さんが大人になった時には、お父さんが離婚して離ればなれになったことでいろいろ感じ取っていることでしょう。そのつもりは本当になかったんですけれど、この作品でいつでも娘さんがお父さんに会えるように、「あなたの中に彼が生きている」ということを伝えたくて、彼のインタビューはあれだけ長くなっているんです。

 彼らがなぜ話せるかという謎が解けたのは、試写の時でした。実はびっくりしたんですが、あの誰よりも強い、クランクアップでも泣かない、泣いたところを1回も見たことのないまゆかちゃんが、試写が終わった時に誰よりも号泣していたんです。初めて生い立ちを話している自分の姿を客観的に見て、びっくりしたんだと思います。そして、まゆかちゃんが言ったこの言葉が印象に残っています。「私って、こんなに笑いながらしゃべってるんだ。こんなに強がってるんだ。なんだ、私って頑張って生きてるじゃん」。
 初めて客観的に自分を見られたことで、彼らは自分が傷ついていることがわかったんだと思います。でも、「君たちはサバイバルをしてきたんだよ。そして生き延びた。本当に誰よりも強く、弱さを強さに変えている。だから、その生きてきたことを認めてあげてほしい」と彼らに伝えたい。言葉だけでは絶対無理なのですが、客観的に自分を見るということで彼らに感じてほしかったんです。
 この映画をきっかけにして、いろんな人に自分の話を記録してみてもらいたいですね。自分で自分のことを認められない、周りの人も自分を肯定する社会ではなかったかも知れない。でも、客観的に自分の素顔を見れば、「私って頑張ってるんだな」と思える。自分を客観的に見ることも、すごく必要なことだと思います。彼ら8人にそれをプレゼントしてあげられたことは、意味があったのかなとも思います。
 この映画を撮ったおかげで、私自身が救われました。最初は彼らのために社会にメッセージを発したいと思っていたんですけど、蓋を開けたら自分の帰れる居場所を作ったんだなって思います。この間キャストとアフタートークをしたんですが、キャストが「この『花束』があるので、ちゃんと帰ってこれる場所があるんだって思った」と言ってくれた時には、すごく嬉しくて。
 この大きな地球の中で、嫌でもみんな孤立していくじゃないですか。分断と孤立の社会になっていっている気がします。でも、帰れる場所があることは、すごく大切なことです。カナダでもそうだと思いますが、施設はありますしね。そういう子たちと出会っていくと思うんですね。「ただ出会っているだけでは仕方がない」「なんだかかわいそうは何も社会を変えない」って。「かわいそう」は人を救うわけでもないし、社会を救うわけでもない。でも、いろんな人生があることの背景を知って、「ああ、そうなんだ。でもあなたはあなただよ」と思ってもらいたい。施設にいるあなたでもなくて、親がいないあなたでもなくて、「今、目の前にいるあなたが、私の知ってる素敵なあなたなんだよ」っていうことが伝わる。そういう人間関係が生まれたらいいなと思います。

 「花束」を受け取ってくださる方には、問題があることを知ってもらいたいと思っていました。でも今は、最後に映画のクレジットで自分が残した言葉でもあるのですが、「あなたが幸せになってほしい」と思います。大人が幸せになったら、子供は幸せになれるんです。これを見てくださる大人たちには、あなた自身を愛してあげてほしいし、あなた自身の生活を幸せにしてほしい。そうなれば周りにいる子供も幸せを感じますし、子供が本当に幸せになれるのは大人が幸せになった瞬間なんです。不幸だったり、喧嘩やいがみ合いをしたりしている、戦争している大人を見て、子どもが幸せになるわけはありません。戦争で勝ったところで、子供の居場所が大きくなるわけでも、家がお金持ちになるわけでもない。大人同士の憎しみ合いが減っていってほしいなって思います。傷つく戦いは子供に暴力として現れるので、大人一人ひとりが気づいてほしいなと。
 映画は社会全体を変えられませんし、力もありません。可能性があるとしたら、それはちょっとした気づき。映画で感じた感覚って、多分2日後には皆さん忘れていると思うんですよ。でも忘れる前に、私が映画のタイトルをつけてもらいたかったという思いがそこにあるんですが、この作品を見た時にあなたの中に残った感覚、あなたの自分に向けての言葉を一つ、どこかに書き留めておいてほしいんです。
 そして、帰ったら人の目を見て話をしてほしいと思います。今は携帯などで人に会わなくてもコミュニケーションを取れますが、本当に苦しんでいる人は「助けて」と声に出しては言えないので、怯えている目だったり体の傷だったりを見て気づいてあげてほしい。人と人が出会い、気づく。それは助け合いの精神だと思うので、こういう作品を通して「身の周りの人は大丈夫かな」と思い、アンテナを張れる社会になってほしいなと思います。

・CAST:黄安理 黄佳琳 河野真也 栗原直也 ブローハン聡 星野舞結花 松嶋マジアル 吉住海斗
諸星風羽 サラ・オレイン 佐藤浩市
・監督:サヘル・ローズ
・エグゼクティブプロデューサー: 岩井俊二
・音楽:SUGIZO
・脚本:シライケイタ
・プロデューサー:田井えみ
・プロデュース:佐東亜耶
・撮影:山口英徳
・製作プロダクション: ロックウェルアイズ
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